学校にエアコンの導入…安直では?(あえて熟慮提起)
「保守・革新こぞってエアコン導入推進」はポピュリズム政策と疑いたくなる。以下の新聞記事からは、その狂騒ぶりと課題をうかがい知ることができる。
***引用開始
<小中学校エアコン設置>宮城県内の設備業界悲鳴 教室数1万超、能力を超過「到底無理」
2018・12・03 (河北新報)
県内の設備業界の関係者は、エアコンを据え付ける教室数を1万超とみる。今後の維持管理や定期的な更新も見据え、「東日本大震災の復興事業が落ち着く中、業界にとってはありがたい話だ」と本音を漏らす。
「授業中は作業ができない。そもそも土日は校舎内に入れるのか」。仙台市内の業者は、設置箇所の大半が使用中の教室になることに伴う作業時間の確保を懸念。「民間施設と比べて条件が悪い」と頭を抱える。
校舎によって異なる建物の築年数や構造などに対応し、天井からの吹き出し型や壁掛け型といった形式を選択する必要がある。
同市の設備設計事務所の担当者は、取り付け箇所の調査は建築や電気、機械の資格を別々に持つ3人が1組になって臨む必要があると説明し、「30教室ある学校を調べるとしたら半日以上はかかる」と言う。
約3900教室を抱える仙台市教委が設置箇所の調査・設計に向けて動きだしたことを受け、「業者の抱え込みが始まった」(県職員)。別の設計事務所の担当者は、大手から「手伝ってくれないか」と打診があったことを明かし、「技術的に難しくはないが、他にも業務を抱える中で専念できるはずもない」と諦め気味だ。
東京五輪・パラリンピックを約2年後に控え、都内では宿泊施設などの建設ラッシュが続く。仙台市内の別の業者は「技術者は既に東京に流れている。復興工事で業者が足りなくなった二の舞にならないか」と気をもむ。
「各自治体の発注時期が重なれば、入札の参加者や落札者がゼロになる事態も起きかねない」(県幹部)と案じる声も上がるが、県教委施設整備課の相馬義郎課長は「各市町村にはそれぞれの考えがあり、県が立ち入ることはない」と静観の構えを崩さない。
[小中学校へのエアコン設置]全国の公立小中学校の熱中症対策として、空調設置支援費817億円を盛り込んだ国の2018年度補正予算が11月7日、国会で成立した。今後、各自治体への配分額などが決まる見通し。18年9月現在の宮城県内の小中学校の設置率は普通教室4.7%、特別教室12.9%。
財源は大きな課題だ。それ以上に、空調管理した閉鎖空間の妥当性といった、学校の教育環境の在り方についての検討こそが最重要な課題だ。 とりわけ、成長発達期の義務教育段階において、外気・自然とのかかわりは欠かせない。汚染大気などの非常時同等の扱いで、外気を遮断する生活を子どもたちに強いるというのか。
裏返して言えば、騒音や大気汚染や猛暑環境を放置し、つまり、森林や木陰、川や海風、といった自然の快適環境の整備を断念し、関連業者の特需を生む空調設備への公費投入を優先するということか。まるで、サティアンと呼ばれたカルト宗教施設で信者たちが徹底した外部との遮断空間で洗脳生活を送っていた事件を想起させるではないか。
子どもたちには、いい空気で、季節感を味わいながら、身体の恒常機能を発達させながら、生きる力を育ませていきたいものです。そのための教育環境論議がほとんど見られないまま、熱で浮かれた流行りの如くエアコン導入狂騒曲が展開されてしまっている。せめて、エアコンの弊害を示して比較検討するべきだ。コスパ、冷房病、アレルギー、利用方法を巡る混乱・心理影響・・・等々、全て被害は子どもたちに負わされるのだ。
扇風機は閉鎖ではなく、自然への開放空間を志向する。壁の厚さや二重断熱ガラス窓、植物や構造物によるいろいろな日よけ・・・等々まだまだ自然を生かす技術的建築上の工夫の余地があるはずである。
あえて、問いたい。安直なエアコン導入でいったい子どもたちをどのように育てたいのか?静まり返った教育学からの発信・提言はどうしたというのだ?
「山口達也(TOKYO)事件」は、被ばくによる健康影響から検証するべきではないか?
アキオさんの死を引き合いに出すまでもなく、原発事故後のダッシュ村やフクシマ関連の活動によるTOKYOの被ばく影響について、多くの人が心配していました。
ここで、思い起こされるのは、「原爆ぶらぶら病」です。
「山口達也事件」は、本人の説明と、しかるべき機関による今後の捜査の必要性はいうまでもない。ただし、もともと、疑問だった「ダッシュ村は東電に損害賠償を請求しているのか?」や、「TOKYOの事故後のフクシマでの行動被ばく影響は大丈夫か?」を明らかにし、山口達也事件の背景としてある、「アルコール依存症と体調不良」の原因追及と真相解明をこの際徹底的に行うべきである。
この時、肥田先生の指摘は、分析上の重要な観点の一つである。
◆肥田舜太郎医師に緊急インタビュー by:全国保険医新聞(2014年5月5・15日)
原発事故の放射能被害の事態をどう見て、どう考えたらよいのかが医師に問われている。65年にわたって被ばく医療を実践し、原爆認定集団訴訟の中心的役割を担って国と戦ってきた肥田舜太郎医師に緊急インタビューした。
(『埼玉保険医新聞』2014年4月5日より転載紹介)
放射線被ばくの治療について -開業医の中では、放射線に対する治療を知らない人がたくさんいると思いますので、まず、治療について伺います。 肥田 放射性降下物による内部被ばくには治療法はまだありません。 -開業医の先生方にとって被ばくを治療する知識は、どういうものがあるのでしょうか。 肥田 一番マークしなければならない症状は、「非常にだるい」「仕事ができない」「家事ができない」という、原爆症の中で一番つらかった『ぶらぶら病』だ。
-避難者の中でそういう症状が現れれば原爆病・・・。
肥田「ぶらぶら病」という概念にあたる、原因の分からない後遺症。治療法は分からない。命が危険になる病気ではない。周期的にくる。大部分はその人特有の現れ方をする。ぜんそく発作のように、始まると4,5日止まらないとか、何週間、何ヶ月も続くとか、その出方も症状もみんな違う。 いろんな検査をして、広島ではぶらぶら病の患者に対して「病気じゃない。原爆にあったショックの精神障害だからだんだんよくなる」と言うと、他の医療機関を受診し、同じことの繰り返しになる。これが特徴だ。 -例えば白血病などはどうでしょう。 肥田 白血病はまだでない。3年以降で、白血病はピークが5年、がんが7年だった。これは必ずピークは出る。医師は知っておいた方がいい。被災者のみんなが放射能障害を心配している中で、「心配しなくていいよ」という医者では通用しなくなる。 (後略)
防災責任認めた大川小判決 2018・04・26
2審判決の基本線は支持する。しかし、釈然としないのは、「組織的過失」と、学校現場での「避難行動の過失」の違いが曖昧である点である。市・県・国の教育行政上の防災体制こそ責任追及されるべきだが、ハザードマップ不備の責任は棚上げにして、予算措置のうらづけもない避難マニュアルのハイレベルな整備を求めている判決は、矢面の最前線を置き去りにして逃亡を図る作戦本部の構図を想起させる。
これまで、原告遺族でつくる勉強会に参加したり、裁判を傍聴してきて、最も心に重くのしかかるは、生存者の証言記録を隠蔽・改ざんするかのような市教委の対応の問題であり、不正の疑いである。原告が訴訟までしなければならなかったのは、唯一の生存教師との接触をも阻まれ、真実がねじ曲げられそうだという危機感のせいだ。子どもたちとともに命を落としたほとんどの教師たち、死してなお、むち打たれ続けていようとは・・・あまりにもうかばれまい。
大手新聞社の記事の以下の文は、津波防災上の学校のリスク管理の課題を示している。またそれは、放射能被ばくにおけるリスク管理の問題もあてはめることができ、責めを負うべき巨悪が何かを端的に指し示している。
「・・・市が作成するハザードマップでは、学校は浸水予想区域外にあった。市側は、それを根拠に津波は予見できなかったと主張した。だが、児童の安全に直接かかわる以上、校長らは、地域住民よりもはるかに高いレベルの知識に基づいてハザードマップの信頼性を検討すべきだったとして、判決はそうした主張を一蹴した。
災害には想定外がつきものだ。ハザードマップはあくまで目安であり、限界があることを改めて認識する必要がある。」
「ハザードマップ」を「安全基準」と、「津波予見」を「被ばく影響予見」と言い換えれば、
「・・・被ばくの安全基準を満たしているので、被ばく影響は予見できなかったと主張した。だが、・・・(以下同意)・・・。
」と、なる。
同じ論理で同じ方策が導き出されるものと考えたいが、実際はそうはなっていない。放射能被ばくでは、市教委(県、国も)に従えと統制を強めるが、起きてしまった津波被害では市教委にしばられるな、と突き放す。ご都合主義のダブルスタンダードは明白だ。いじめ・自死問題でもでも事件前と事件後の処理とでは、教育委員会による学校統制のニュアンス変化は近いものがある。
まともな「学力論議」で、教育壊変の流れを正そう!
「ゆとり教育」非難の嵐が静まり、ようやく冷静にほんとうの「学力」を語る時期が来ました。昨年末2017年12/28のテレビ番組で、池上彰氏と増田ユリヤ氏がレポした「日本の教育の迷走」に注目を。「学力・ゆとり・いじめ・教科道徳…等々」をキーワードに、イメージ戦略で喧伝され、歪みつつある教育問題の本質を鋭く切り込んでいました。論旨は両氏共著作で参照することができます。
今年は、憲法や安全保障法制の重要な節目の年となりそうです。オリンピックや明治百年の機運に乗り、戦後の民主主義社会の体制・基盤が大きく壊変されそうです。
原動力として重視されるのは、やはり、教育の支配です。教育における人権や自由の問題が、前進・拡大するきっかけとなるかと期待が大きかったゆとり教育は、狡猾なイメージ戦略で踏みつぶされました。しかし、教育だからこそ、真実はやがて復活します。子どもの成長と発達は、まがい物の学力テスト数値で覆われようと、やがて真実の芽を必ず伸ばし始めます。こんな事例があります。
3・11の津波被害の影響で、被災地の学力が低下したという評価、確かにある一面としては妥当です。しかしそれは、ペーパーテストの数値でしかありません。避難所でで子どもたちが発揮した自治力・ボランティア実践力をご存知でしょうか?物資配布の手伝いから始まり、清掃、生活ルールの設定・声掛け、壁新聞づくりなど情報発信・交流活動まで、まさに子どもは社会の鏡となりました。これこそ、生きた学力、真の総合学力ではないでしょうか。
一面的なテストの点数だけで教育の指針を悪用操作されないよう、今年こそ、まともな論議で学力を見直していきましょう。
「モヤモヤ紅白」のお口直しは、NHKニューイヤーオペラコンサートで!
紅白の失望感を吹き飛ばしてくれたのは、やはりNHKの良質番組でした。
日本の音楽文化の底力をしっかり伝えてくれました。正月3ケ日の終わりにふさわしい心地よい声楽に酔いしれることができました。「奇抜な」というべきステージ隅のバーカウンター仕立ての司会席は、エスプリの効いた大人の会話で和やかな進行を演出していました。
比べるのもなんですが、政治垢にまみれたような紅白は、今回で完全に価値を失墜しました。三輪さんの代わりに。奮闘した大竹しのぶさんなど、出場歌手おひとりお一人は素晴らしいとは思うのですが、何せあの演出と流れの中で、じっくりと歌を鑑賞するという基本的なところが損なわれてしまっていたのは確かだったと思います。民放番組と比べても、音響や演出、持ち時間など純粋に「音楽ファウスト」の番組作りをしていたかという点では明らかに劣っていたのではないでしょうか。最近の民放の方が、歌手のパフォーマンスを最大限発揮させる演出・構成に力を入れているように思えます。
ほんと、受信料を払う気が失せるところを、かろうじて首の皮一枚でつないでいるのが、この「ニューイヤーオペラコンサート」のような、たま~に放送する珠玉の番組なんですよね。コレハ戦後文化の成熟に貢献したNHKマン魂をもったスタッフががんばっている稀有な例なのでしょうか。この際あらためて放送法の見直しを含めて「公共放送NHK」の在り方を再検討するべきと考えます。
NHK紅白アナウンサーによるピコ太郎ダンス「ゴジラ・マイク」・・・はからずも、政府広報放送局としての正体をさらしていた!
台風10号→原発直撃→暴風雨による汚染拡散注意報道を!(その2)
8/30正午 今まさにフクイチ沖を台風の目が通過中です。
NHKは特集ニュースを流し続けるも、福島沿岸の実況は原発付近はあえて触れず?!
★いわきのライブ動画と南相馬の中継のみ。
★汚染物流出と原発作業の停止を過去映像ニュースのみ。
8/25の持論口論や解説スタジアムでは、比較的鋭い切り口の原子力問題テーマの番組を放映したNHKでしたが、報道の真価を問われるのは、まさに今、緊急事態の今、どんな現場の実況報道ができるかです。市民から真実を遠ざける報道の現状のままでは、今後どんなに美名の「緊急事態条項」が作り出されようとも信用ならないし「本営発表」でしかありません。
あふれた汚染水は大量に港湾に流れ出し、希釈され基準以下の濃度で外洋に流出する。これをアンダーコントロールと呼ぶとしたら、為政者はこの台風を大歓迎しているに違いないでしょう。