教育環境観測所

3・11以後、生き方を見直しました。自然災害と放射線の低線量被爆にさらされた地域に根差した生活をやっていきます。教育と環境の視点で試行錯誤しながら。

防災責任認めた大川小判決 2018・04・26

   2審判決の基本線は支持する。しかし、釈然としないのは、「組織的過失」と、学校現場での「避難行動の過失」の違いが曖昧である点である。市・県・国の教育行政上の防災体制こそ責任追及されるべきだが、ハザードマップ不備の責任は棚上げにして、予算措置のうらづけもない避難マニュアルのハイレベルな整備を求めている判決は、矢面の最前線を置き去りにして逃亡を図る作戦本部の構図を想起させる。f:id:pecopecope:20180427232258j:plain

   これまで、原告遺族でつくる勉強会に参加したり、裁判を傍聴してきて、最も心に重くのしかかるは、生存者の証言記録を隠蔽・改ざんするかのような市教委の対応の問題であり、不正の疑いである。原告が訴訟までしなければならなかったのは、唯一の生存教師との接触をも阻まれ、真実がねじ曲げられそうだという危機感のせいだ。子どもたちとともに命を落としたほとんどの教師たち、死してなお、むち打たれ続けていようとは・・・あまりにもうかばれまい。

   大手新聞社の記事の以下の文は、津波防災上の学校のリスク管理の課題を示している。またそれは、放射能被ばくにおけるリスク管理の問題もあてはめることができ、責めを負うべき巨悪が何かを端的に指し示している。

「・・・市が作成するハザードマップでは、学校は浸水予想区域外にあった。市側は、それを根拠に津波は予見できなかったと主張した。だが、児童の安全に直接かかわる以上、校長らは、地域住民よりもはるかに高いレベルの知識に基づいてハザードマップの信頼性を検討すべきだったとして、判決はそうした主張を一蹴した。

 災害には想定外がつきものだ。ハザードマップはあくまで目安であり、限界があることを改めて認識する必要がある。」

ハザードマップ」を「安全基準」と、「津波予見」を「被ばく影響予見」と言い換えれば、

「・・・被ばくの安全基準を満たしているので、被ばく影響は予見できなかったと主張した。だが、・・・(以下同意)・・・。

 

」と、なる。

 同じ論理で同じ方策が導き出されるものと考えたいが、実際はそうはなっていない。放射能被ばくでは、市教委(県、国も)に従えと統制を強めるが、起きてしまった津波被害では市教委にしばられるな、と突き放す。ご都合主義のダブルスタンダードは明白だ。いじめ・自死問題でもでも事件前と事件後の処理とでは、教育委員会による学校統制のニュアンス変化は近いものがある。