「死を想う」地域社会とは。
地域緩和ケアあったかネット(穂波の郷クリニック)主催の緩和ホスピス市民公開講座(12月23日大崎市Fプラザ) で、クリスマスと年越しにふさわしい、「死を想う」機会を得ました。
①オカリナ演奏で心が静まり、②二ノ坂先生の講演で考えを深め、③事例トークで心が和みました。
折しも、父が心臓弁膜移植手術を控え入院中。家族や自分の老後生活の真っただ中にある現実を受け入れ、日常的に「死を想う」生活の重要性を感じました。
二ノ坂先生が取り組んでいる「バングラディシュ支援事業」は、医療環境整備の基盤として看護師養成の教育環境づくりに置いてあるという点が、たとえ日本が医療先進国であったとしても、本当のホスピス向上のためには共通する課題があるという点で大いに考えさせられました。
”アパマン爆発事故”の根本原因・・・「清浄スプレー」という名の有害物質問題
爆発原因の構造は、スプレー缶自体の不正使用、スプレー未施工詐欺の隠ぺい、現場管理の不適切、等々いろいろあるようだ。が、根本原因は、「有害を有害と認識しない環境認識の蔓延」にある。のではないか?
例えば、下の画像を問題視してこなかった「安全神話」、醸成した「企業主導のリスクコミュニケーション戦略」がそれだ。
わかりにくく、ごまかしやすい低線量の放射能や微量の重金属、化学物質の希釈・拡散処理(=環境汚染=公害)も同様だ。
「環境について科学的認識」の問題などと、たいそうなことを言わなくても、もう少しましな「理科の基本学力」が育てられていれば、随分状況は変わるはずだ。環境を守るのは、やはり教育の力。ということだろう。
沖縄の基地問題=列強侵略に対抗するとした大義によって市民に犠牲を強いた足尾鉱毒問題=放射性廃棄物処理問題
「辛酸入佳境 楽亦在其中」しんさん、かきょうにいる、たのしみまた、そのなかにあり。・・・田中正造が晩年、聖書に親しみ、好んで揮毫したそうだ。人生観を表す言葉ではあろうが、私は直截に、「南の海の楽園に容赦なく土砂を投入する光景」を示す言葉として響いた。
「真の文明は山を荒さず、川を荒さず、村を破らず、人を殺さゞるべし。」同様、目先の繁栄に惑わされない文明観として、しっかりとかみしめたい言葉だ。
奇しくも、2回目の東京オリンピック間近、歴史は繰り返す。
「父ちゃんどこさ行った」奈良寮子
https://www.youtube.com/watch?v=zLjzRP8FF5U
私の父も、子育てと働き盛りだった頃、’東京さ出稼ぎ’に行ってました。
帰ってきたときのお土産のうれしさと同時に、「母ちゃん農業※」生活の不安感は、子ども心に大きな影を落としていたと思います。
苦しい生活であっても、あの頃の農業には、「主食のコメを自給生産する。おいしい米を作る。」といった、労働・生活への「張り」や「誇り」があったと思います。TOKYO2020に向けてのインフラ整備ではどうでしょう?建設関係はもちろん、食糧も、教育・福祉・水も、いったい誰が誰のために働いて暮らしていくというのでしょう?
生きがいをもって働くことができる持続可能な社会こそが、「教育・環境」のめざすところです。
※「三ちゃん農業」は、じいちゃん・ばあちゃん・ かあちゃんが主な働き手である、男性が出かせぎや勤めに出て、他の家族により行われる農業経営。昭和30年代後半の語。(by:kotobank.jpデジタル大辞泉) 祖父母がいなかった場合は「母ちゃん農業?」
整備のための予算配分を怠ってはならないものがある。「水と人(教育)」でしょ!
危機を煽り、軍需産業を肥やす防衛費突出の小心者国政。これと同様。
アルコール中毒(酩酊、酒乱、依存)がらみ事案続発
飲酒運転も、暴行傷害も、誹謗中傷も、元を質せば未熟文化環境に原因か?やはり、「教育の力に待つ」以外に解決策は見当たらない。