教育環境観測所

3・11以後、生き方を見直しました。自然災害と放射線の低線量被爆にさらされた地域に根差した生活をやっていきます。教育と環境の視点で試行錯誤しながら。

熟議なき 多 数 決 は 民主主義 に あ ら ず 

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 「ちびまる子ちゃん」の時代、学級委員長選挙や児童主役の学級会の話し合いが学校生活の重要な場面をなしていました。しかし、文科省の指導要領により教育内容への介入が始まり、いつしか学級会は教師主導の学級指導へと変わり、学級会や児童会の選挙は協議による互選や交代制に、話し合いは議事マニュアルに沿った形式化した会議に陥ってしまいました。本来、学級会は、遊びや日常の会話の延長上に身近にあった子供社会の政治的スキル育成の華々しい舞台でありました。その学級会は消滅してしまいした。やがて選挙制度も小選挙区へ改悪され、一票の格差は憲法違反状況となり、少数政党の死に票が増えました。少数意見への逆風は勢いを増し、若者の政治離れや、投票率の低下につながったと考えます。

 そして今や、イギリスのような2大政党制は結局日本には育たず、一強他弱の議会は数の論理が大手をふるい、党議拘束で議員を縛り、熟議とは程遠い国会論議の現状が生まれました。このまま多数決で採決を強行すれば、後世の人々は以下のような流れとして歴史を評することでしょう。「教育への介入から始まり、選挙制度の改悪で地固めをしてきた独裁政権が、秘密保護の名の下に情報を統制し、平和憲法を破壊した専制政治へと流れた時代」と。

 熟議の民主主義を実現する市民力の醸成は、やはり「教育の力に待つべきものである」・・・改悪前の教育基本法前文の言葉を思い起こします。